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スペイン・チャモロ☆☆ - グアムへ行こう

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スペイン・チャモロ☆☆により、3000年以上育んできたチャモロ人の歴史は絶滅の危機を迎えることになりました。ヨーロッパから海を越えた宣教師による宣教は歴史的に見ると、先住民の社会・文化に大きな影響を及ぼし、その被害は共に広大であったと言わざるを得ない。それは、宣教が「聖書の福音」に留まらず、先住民の「統治」にまで及んだためである。

スペイン・チャモロ☆☆発展の背景

サン・ヴィトレス神父は1668年6月、マリアナ諸島最初のカトリック宣教師としてグアムに来島しました。神父はこの島の先住民がマゼランによって名付けられた「ロードス(泥棒)諸島」という当時のスペイン名に反して、信頼に値する慈悲深い者達であると考えていたと云われています。また、ハガニャ地区のキプア大酋長の全面的な支援も受け、神父は入島1年目にして1万3千人ものチャモロ人を洗礼したとされる。そして布教活動が順調に行く中、宣教団の金銭的、精神的なサポートを実施していたマリアーナ王妃に名前を冠して、この地を「マリアナ諸島」と改名しました。これによりマゼランが名付けた「泥棒諸島」の汚名をぬぐった。

しかし、これまでグアムは単にメキシコとフィリピンとの間の「航路の中継地」としての領土であったのだが、このカトリック宣教により先住民を「統治」にまで及んでしまうことになる。また宣教はグアムだけでなく、サイパン、ロタ、テニアン、パガン、アナタハンなど近隣諸島でも行われていく反面、チャモロ人たちはキリスト教が自分たちの習慣を抑圧し、自由を束縛するものだと感じるようになる。

1670年、キリスト教を強制する宣教団とチャモロ人との争いが表面化される☆☆が次々と起こる。宣教団との小競り合いが深刻になる中、サイパンで布教中のメディア神父が島民に☆される。グアムでも住民の☆☆が続き、その度にスペイン軍の圧倒的な火力で鎮圧されていった。

1672年、タモン村を訪れたサン・ヴィトレス神父はマタパン酋長の了解もなく赤ん坊に洗礼を施した。これにより怒りを持ったマタパン酋長とヒラオ酋長に☆☆されることになる。そしてこれを契機として、20年以上に及ぶチャモロとスペインの全面☆☆に突入することになる。

■マリアナ諸島のカトリック宣教の目的・真相は?!
スペインは重要な植民地の治安維持や交易上の利益の確保などを目的とした政治的な意図に基づいて、「☆☆の保護」のもとにカトリック宣教がされていた。しかし、マリアナ諸島は、ガレオン船の中継地として活躍していた諸島ではあったが、インドネシアのモルッカ諸島のように香料を産出することも、また、南米ペルーのように金・銀の鉱石を採掘することもできなかったために、スペインは当初、島全体を植民地として統治することはなかった。


マリアナ諸島がなぜ全土に渡って植民地化されていったかは、真相は良く分かっていない。つまり、これまで国家による政治的な意図に基づく宣教を行ってきたスペインにとって、マリアナ諸島はその対象として不十分であったからである。一説によるとサン・ヴィトレス神父の個人的なミッションがきっかけとも云われている。また彼は何にも増して「洗礼」を重んじていたとされる。

スペイン・チャモロ☆☆

チャモロ人の抵抗は凄まじく、サン・ヴィトレス神父の☆をうけ、スペイン軍は直ちにタモン村へ行き、酋長の家らに火を放って制裁を加えたが、帰途、すかさず村人が待ち伏せを行い、隊長以下数名を重傷を負わせハガニアに追いやったという。チャモロ人のこういった抵抗は、スペイン側の☆☆な鎮圧を考えると、勇ましいとさえ感じる。しかし後にチャモロ人絶滅の危機にさえ陥ることになってしまうである。

スペインの宣教という名の統治はその後も続き、キリスト教に反抗的なすべての村を焼き払い、島民にキリスト教による結婚式をも強制した。しかしチャモロ人も負けじと神父や従者を次々と☆し、教会も破壊していった。

首都ハガニヤでも約500人のチャモロ人が教会と砦を包囲しスペイン軍と合いまみれたが、大砲と銃によって多くのチャモロ人が散っていった。こうした☆いによりチャモロ人口が減少していく一方、スペイン軍は本国からの新型の☆☆と補充兵を繰り返し、圧倒的な立場を築いていった。

スペインはキリスト教に反対する者が1人でもいる村はすべて焼き払い、多くのチャモロ人を☆し、生き残った者は☆☆とした。1681年には、☆しすぎて労働力が不足したことから、アニアン、サイパンなどから☆☆をグアムに補なうなど、スペインの統治はマリアナ諸島全域に及び、それでもチャモロ人は槍やこん棒、投石で抵抗していった。

スペイン・チャモロ☆☆の終焉

1695年、チャモロ人の抵抗は終わり遂げた。かつて9万人と推定したマリアナ諸島の人口は5000人以下にまで減少してしまった。これには、☆☆による☆☆の他に、西洋人が持ち込んだ「はしか」、「天然痘(痘痕ウイルス)」の蔓延や大型台風の影響もあったという。そして、その残された大多数は女子供であったことから、カヌーやラッテストーンなどチャモロ男性が伝承していった多くの技術も消滅してしまった。

1783年にはチャモロ人口は、ついに1500人にまで減少してしまったという。なぜなら多くの女性がスペイン、メキシコ、フィリピン兵士との結婚を余儀なくされたが、彼女たちは自分たちの子供が奴隷のように扱われるのを恐れて子供を産むのを嫌がったからだという。

スペイン・チャモロ☆☆により、純血のチャモロ人はもうグアムにはいないとも言われている。現在のグアム在住チャモロ人に、スペイン植民統治について聞いてみると「私たちの姓名はスペイン名だし、カトリックやフェイスタなど多くのものを授かっている。そしてスペインの遺産を誇りに思っている」と、またサン・ヴィトレス神父☆☆については「悔いてはいない。なぜならカトリックはチャモロ文化の変革を要求した。また、神父は父親の意思に反して洗礼を施そうとした」と語る。現在のグアムではキリスト教信仰はとても強く、住民の99%がキリスト教徒とも言われている。

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