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マゼラン

マゼラン上陸記念碑 サイトマップ

史上初の世界一周達成 航海者「フェルディナンド・マゼラン」

グアムに西洋文化をもたらした航海者「マゼラン」は、1480年にポルトガルで下級貴族の子として生まれました。25歳で初の航海に出ることになり、その後、マラッカ・モルッカ諸島などで航海の経験を積んでいました。

1517年、スペインに移り住んでいたマゼラン(37歳)は、モルッカ諸島への西回り航路開拓をスペイン王・カルロス1世に熱望し1519年9月20日、5隻の大型船に265名を乗せスペインを発ちました。

大西洋を横断した後、1520年、西の海へと抜ける道「マゼラン海峡」を発見し漂流を続けていた。食糧補給の機会を得られず飢えに苦しんだマゼランは、1521年有人の島を発見、物々交換をおこない食料の恩恵を受けたが、マゼラン一行の小型ボートを持ち出した島人の行為に怒ったマゼランは焼き討ちをかけ、ここをラドロネス諸島(泥棒諸島)と名づける。これが現在のグアム(マリアナ諸島)です。

マゼランはすぐに航路開拓を続け10日後フィリピン諸島への第一歩を記し、フィリピン・セブ島にて、マレー語と接触。これによりマゼランが以前、逆回り航路で訪れたマレー語圏に再びやってきたことになり、事実上、世界一周を成し遂げたが、途中フィリピン・マクタン島の酋長ラプ・ラプとの戦闘に敗北し戦死した。

これはグアム島を発見し約50日後の出来事であった。また、残された艦隊はその後、約1年4ヶ月ほど掛けてスペインにようやく到着。史上初めての世界一周を達成した(1522年9月6日)。マゼランにより「地球が丸い」ことが実証され、ヨーロッパの大航海時代にとって非常に大きな功績であったが、生き残り無事に帰りついた艦は1隻。乗組員は、わずかに18名であった。

一方、マゼランが死んだフィリピンのマクタン島には、ラプ・ラプの像が立っています。「この地で1521年4月27日、ラプ・ラプとその部下はスペインの侵略者たちを撃退し、指揮官マゼランを殺した。」と、ラプ・ラプはヨーロッパの侵略者を追い払った最初のフィリピン人としてフィリピンでは英雄となっています。

マゼランとウマタック村

グアムに西洋文化をもたらし発展のキッカケにもなったマゼラン一行の上陸であるが、平和な島を西洋世界に引きずり込んだと表現される場面もあります。当時のグアム島ではチャモロ先住民が長い間、魚業や農耕など自給生活の穏やかな生活を送っていました。

マゼラン一行が上陸したウマタック村はその後、フィリピンとメキシコを結ぶ貿易の中継地として発展していきました。村にはマゼラン上陸記念碑が建っており、発見日でもある3月6日に毎年、記念祭を行っています。しかしその内容には島民殺害や放火したマゼラン一行の史実も含まれており、マゼランの侵略性と暴力性も強調しています。

グアムを「泥棒諸島」と名づけたマゼラン一行は、食糧難の末ようやくグアム島を発見し、島民たちから果物や水、食料の恩恵を受けた(物々交換を行った)。しかし島民の中には鉄製品その他、欲しいものを船からどんどん持ち出した。中には、船に備え付けのボートまで持ち出す者がいた。怒ったマゼランは40名余りの武装兵を引き連れ集落を襲い、多くの小屋を焼き払い、数隻のカヌーを破壊し、島民7名を殺害したとされている。船に戻ったマゼランは、この一帯のマリアナ諸島を「泥棒諸島」と命名し次なる地へ出航していった。

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